教育の違い

様々な学生達を見ていて設計の教育が国によってかなりの違いがある。

日本の学生は物を作ることにひたすら力を注いでいる。いかに他と違うものを作ろうかということにだ。勿論、自分なりに状況を判断をしているのだが、その判断が余りにも私的で客観性がなく、人を納得させるに至らない。これは学生だけの問題ではなく、日本の建築界の状況をそのまま反映していると言える。

アメリカの学生はデコンストラクショヴィスムの影響をまともに受けてしまっていて、形を作り出すのを拒否するのが身についてしまっている。しかしながら、建築とはやはり建設行為であって、具体的なことを避けることはできない。彼等にあるギャップはその点である。

それに対してヨーロッパの学生達は一貫した教育を受けている。例えば、H.シリアーニやL.スノッジなどの教え方は1年目から最終学年まではっきりしていて、その流れから外れるものはなかなか受け入れられない。そのためか5年を終えたヨーロッパの学生は物事を客観的に判断する訓練が身についている。

 スノッジを講師に迎えたときなどは最初は学生の自由に任せていたが、結果的には彼の指導の元に誰もがモダニスムのプロジェクトに変わっていった。今回、M.ドリンスキー(コモに住むアメリカ人建築家)と共にかなり強引に学生達を引っぱっていった。

 学生達には自分のやりたいことができないといった不満もあったのかもしれないが、学校教育というのはある個人を育てるのではなく、全体の育成であるということを忘れてはならない。学生がヨーロッパの教育がどんなものであるかに触れたことは、彼等にとって建築を違った角度から見るためにも有効なことだろう。

 

 

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