68年にボザールが解体して以来、建築の管轄が文化省から建設省に移行した経緯があり(現在は文化省に戻っている)、建築教育のシステムが大きく変わってきている。そして、建築界もコルビュジエの流れを汲む動きと、石造りの建築に反撥するかのように出てきたガラスとスチールを使ったメカニカルな、いわゆるフレンチテックという動きに二分されているといって言い。それに加えて個性的な表現をするの建築家たちがいる。単純にまとめることがよい事かどうかはさておき、これらの傾向は日本のように個々の建築家が独立して個性の表現をしているのと違ってはっきりとした動きとしてある。

 

68年以降を考えたとき、70年代のフランス建築界はポンピドゥー・センターを除いて試行錯誤の時代といって言いかもしれない。Cité Radieuseを試行しながら結果的に郊外のシテは理想からかなり遠いものとなって現在に至っている。80年代になってミッテランが政権に就くと、建築界に新たな動きが始まる。というのも建築が人を引き付ける可能性があるとフランス政府がポンピドゥーセンターを契機にして理解を示したからである。以降、一方で国際コンペを行いながら世界の建築家の目を、更には大衆の目を引くパリ大改造が始まったのである。このことは結果的に多くの外国人観光客を引き寄せることに繋がっている。もう一方で政府がAlbums De La Jeune Architectureという若い建築家のために作品集を出版して、新たな人材を発掘する努力をしてきた。今日、活躍する40代から30代の建築家はほとんどがこの作品集によって知られ始め、これをもとにコンクールに参加し、実際に仕事をする機会を得ている。

ペローはこうしたフランスの文化政策の一環から出てきたといえる。

 

 

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