都市の思想、空間の連続性、透明性   photo

 

 

プロジェクトの背景

ユーラリールの計画は1988年に構想が始まり、94年で一通りが完成を見た。この計画のほとんどすべては指名によって建築家が決定され、この小学校と新しい都市公園のみが設計競技の対象となった。

 

この小学校の施主はリールとその周辺都市が集まってつくっているCUDLという自治団体で、実際に使用するのはリール市であり、われわれが具体的に打ち合わせをしたのは施主の代理で第三セクターであるユーラリールだった。各々の関係はかなり複雑であったが、ユーラリール計画全体を見ても分かるように、普通では不可能なことを実現させる組織力がユーラリールにはある。それは、ユーラリールのディレクターであるバイエト氏の建築に対する理解と、バイエト氏を支えた技術部門のディレクターで、残念ながら今年の4月に他界したデュジャルダン氏の努力によるところが大きい。例えば、小学校がほぼ完成に近い時点で3本の電柱が建物の前にあったのだが、この電柱を何とか移動できないものかと施主に伝えたところ、それから程なく現場の打ち合わせにいってみると、それが見事になくなっていた。電線は地中に埋められ、歩道もきれいに舗装さていた。これほど嬉しかったことはない。通常、書類の上でしか動かないはずの社会で、こうも簡単に建築家の意向が受け入れらるというのは、ユーラリールだからこそ可能だったのではないかと思う。

リール国際小学校の設計競技に応募したのが1992年末だった。その後、93年に参加の4チームに選ばれ、実際に設計したのが94年5月、その審査、結果が出たのが94年11月であった。コンペに参加したチームの顔ぶれは、3チームが地元リールの若手建築家チームで、私が唯一リールの友人と組んで参加したパリを拠点とする建築家だった。

 

 

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